April 06, 2010

「人生の目覚まし時計」著者と語る

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「人生の目覚まし時計」
という本をご存知だろうか?

人には自分の「時」というものがあり
その時がやってきたとき
自分の中の目覚まし時計が
ものすごい音で鳴るという。clock

著者の富田さんは、飛行機の中で偶然出会った
ある宮司さんからそんなことを突然言われたそうです。

何もかもがうまくいかなくなったとき
「大切なのはやり方じゃなくて”あり方”なんだ」と気づき
しかし気づいただけではなかなかそれを「生きる」
ところまでいけずいつまでももがき苦しむ・・・。

そんな著者が見つけた答えとは
そしていつ目覚まし時計は鳴ったのか・・・。

ごくごく簡単に言えば、そんな本です。

私はこの本に本当に偶然出会いました。
そして読んでいてあまりに自分に似ているのに驚きました。
私はまだまだ自分の中で大切なことを
大切にしながら「生きる」ことができず、苦しんでいる状態ですが
そこを抜けて今を生き生きと活躍されている人がいる・・・。

そう思っていたところ
著者のブログで、この本について語る会を開催している
ということを知り、ほぼ反射的にメールを送りました。
そして先日、お会いしてきました。

この「語り歩きの会」は、どこにでも出張していただけるそうですが
(交通費、会場日は呼ぶ人が負担する)
私はブログに載っていた著者の会社のオフィスが見てみたくて
わざわざ桜上水の会社までお邪魔することにしました。

お会いした富田さんはとても気さくな方で
あっというまに予定の2時間が経ってしまいました。
この本の編集者が茂木健一郎さんのご担当だということで
茂木さん語録をたくさんご存知で
今の私の状態を茂木さん的に言えばこんな感じですと
教えていただけました。

まあ、簡単に言うと
今の状態はとても貴重な時間だということ。
悩んでいる状態は苦しいけど
それはあとちょっとでたどり着けるところまで来ているということ。

そう思うと、今の状態を少し肯定できる気持ちになれました。
とにかく、私の状態をよく分かってもらえた
ということがとてもうれしかったのでした。

事務所もとても素敵な場所で
私もこんな事務所がいいな~なんて思ってしまいました。

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最後に
会社の方に記念写真を
撮ってもらいました。camera

出会いに感謝です。shine

帰り道の夕焼けの空が
いつもと違って見えました。

人生の目覚まし時計オフィシャルサイト
(ブログに私が訪問したときのことが載っています)

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July 13, 2007

もこもこ雲をさがして

Kimitomo 重松作品を読み始めて4作目
「きみの友だち」を読み終えた。
この本もいい本だった。

小学4年の頃に交通事故に遭い
松葉杖を使わないと
歩けなくなってしまった女の子と、その弟の姉弟を軸に
彼女と彼のクラスメイトたちの短い物語が
年月を行きつ戻りつしながら織りなされていく。

「きよしこ」を読んだ時にも思ったが
この本に出てくる子供達も、それぞれの立場で色々なことに悩み
傷つき、悲しくなったり、悔しい思いをしたり、情けなくなったり
泣きたくなったりしながら、日々を過ごしていて
彼ら、彼女らは本当に様々な感情に翻弄されながら
生きていることがわかる。

そんな数々のエピソードを読みながら
私もいろいろなことを考えていた。

「”友だち”って、”親友”ってなんだろう?」
「”本当の優しさ”ってどんなことなんだろう?」
「人はどうして”好かれたい”って思うんだろう?」
「どうして”友だち100人”作りたいんだろう?」・・・

そんなことに思いをめぐらしながら
自分の子供時代を、そして今の友だち関係を考えていた。
そして自分の優しさには
自分がいい人でいたいから(優しくした)という
自分のために人を利用する
”ニセ”の優しさが含まれていることに気づき
人に媚びない、自分のためでない”本当の優しさ”を
さりげなく、無意識でさらっと使えるような人間になりたいと思った。

重松さんは「みんな」という言葉が嫌いで
この本の中でも主人公にそう語らせている。
実は私も「みんな」という圧力がとても嫌いで
中学生の頃は、昼休みに校庭で遊ぶ男子とひとり離れ
いつも教室で
ビリージョエルやイーグルスの本なんかを見ながら過ごしていた。

そんなときふと
私の妻も同類なんじゃないかという思いがわきあがってきた
性格は正反対といってもいいぐらい違うのだが
やっぱり安易に「みんな」に迎合するのが嫌いで
誰かに媚びるようなこともしない。
少なくとも「友だち100人欲しい」とは決して思っていなかったはずで
そう考えると、私達はけっこう同じタイプなのかもしれない
そんなことに気がついた。

もしかすると今の私達夫婦は
この本に出てくる主人公の恵美ちゃんと
その唯一の友だちである由香ちゃんのような関係なのかもしれない。

周りとちょっとペースが違って
無理に「みんな」に合わせようともしないので
外から見るとちょっと閉じていて
だから少し近寄りにくい雰囲気があったりして
でも決してさびしそうではなく
結構幸せそうに見える。
(実際本人たちも幸せだと思っているのだが)

そんな無理して「みんな」におもねることもない私達二人は
だからこそ、唯一無二の親友のようであるのかもしれない。

私達夫婦の関係は
友情や同士愛だけで成り立っている訳ではないけれど
そういう要素もしっかりあったんだなということを
この本を読み終わった今、感じている。

簡単に言ってしまえば
「友達としてもとても大切な存在」である
ということに、改めて気づいたっていうこと。

最後の方で恵美ちゃんが
由香ちゃんと友だちだった理由について
「結局ね、気が合う合わないじゃなくて、
松葉杖のわたしとぐずな由香は歩く速さがおんなじだった、
ってことだと思うの。」と言っていたように
みんなと違う、二人同じものがあったから
私達は今、一緒に人生を共にしているような気がする。

この文章も、Upする前に真っ先に読んでもらうのは
きっと「きみ」だろう。

この本の中で恵美ちゃんは、病気の由香ちゃんのために
「もこもこ雲」(由香ちゃんが子供の頃入院していた病院で
天井に描いてあった雲のこと)をずっと探していた。
だから彼女はその雲を探すためにいつも空を眺めていて
彼女のデジカメには雲の写真がいっぱいだった。

私も恵美ちゃんのように
梅雨の晴れ間、久々に晴れた空で浮かぶ雲を眺め
写真を撮ってみた。
由香ちゃんの「もこもこ雲」ってどんなだろうな~
と思いながら。

なんか、ブックレビューのブログのようになってきちゃったな・・・。

17124335_2s※この写真は私が撮った写真の中から
一番「もこもこ雲」っぽい雲を選んでみました。
いや、我ながらたくさん雲撮ってるわぁ。。。

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July 04, 2007

「きよしこ」

Kiyosiko先日重松清さんの本について書いていたとき
ちょうど読み始めていた
「きよしこ」という本を読み終えたのだが
これが予想以上に良かったので
今日はこの本のことについてだけ
書いてみたいと思う。

先日、重松作品の1冊目として読んだ
「流星ワゴン」も確かによかったけれど
心に深く、沁みるようにきたのはこの「きよしこ」の方だった。

物語は、吃音を持つ主人公「白石きよし」の
小学校1年生から大学受験までのエピソードを短編で綴ったものだ。

親の仕事の関係で転校ばかりしている主人公は
最初の自己紹介のときに
自分の名前の最初の「き」の字がうまく言えないばかりに
(カ行とタ行が特にどもりやすい)
転校するたびにつらい思いをする。

友達とトラブルになったり親に怒られたときも
「ごめんなさい」の「ご」が言えなくて
仲直りの機会を逸したり、誤解されたりする。

転校ばかりしているので常に「よそ者」という寂しさを持ち
吃音を気にするばかりに
いつも言いたいことの半分も言えず
頭の中には言葉が一杯あふれているのに
(声に出さなければ言葉はいつだってスムースに出てくる)
その言葉の大半は飲み込んでしまう。
そして悲しさと悔しさが心の中に積もっていく・・・。

悪気はないが無神経な大人(先生や親)の言葉に傷いたり
ちょっと変だと周りには思われているけど妙に心休まる人がいたり
いろんな人と出会い、別れながら
結局自分が頼れるものは自分だけだという決意を持って
一人東京へ行く決心をする・・・

そんな「きよし」の物語である。

タイトルの「きよしこ」とは、言いたいことの半分も言えなくて
親友といえる友達もいないきよしが
何でも話せる親友として頭の中に想像で作り出したキャラクター。
まあ、言ってみれば
「自分の中にいるもう一人の自分」ってとこだろうか。
でも、この「きよしこ」は最初、1年生のきよしの前に現れて
「君は、だめになんかなっていないよ」
「それが、君のほんとうに伝えたいことだったら・・・伝わるよ、きっと」
と彼に伝えてからは、ぱったりと現れてくれなくなる。
最後の最後に再び姿を現すまでは・・・。

この「きよしこ」というお話は
作者である重松さんに言わせれば「個人的はお話」なのだそうだ。
読み進めると、確かに彼の原点はここにあるのだと感じられる。
主人公の「きよし」も大人になると物書きになっていて
読者はきよし=清と思って読むことだろう。

恐らく物語の細かい部分は創作だろうが
そこで描かれているきよしの感情や
彼がいろんな経験から理解したこと
大人から言われた印象的な言葉などは
きっと重松さんが子供の頃実際に感じたり、誰かに言われたり、
ああ、そうかとわかったりしたことなんだろうと思う。

私は以前から、子供時代の思い出が
妙に切ないのはなぜだろう、と思っていた。
この本を読んで、改めて子供時代ってのは
楽しいことも一杯あったけど、それと同じくらい
つらいこと、泣きたいこと、悲しいこと、悔しいこと、
切ないこと、やりきれないこと
そんなことがたくさんあったよなぁ、ということを思い出した。

子供の頃は、今にして思えば
「これっぽっちのこと」にとても大きく反応し、
そのことで自分の中がいっぱいになっちゃうぐらいのことがたくさんあった。
大人になると、いつの間にかそんな状況のあしらい方もうまくなり
ひとつひとつのことにいちいちとらわれている余裕もなくなり
自分の気持ちにフタをする方法も覚えたりするから
日常的にはそんなに波風を立てずに暮らすことができるようになる。

でも子供はその些細なことを心と身体でどっぷりと受け止め
感情の渦の中に全身を浸してしまう。
悩む時間もたっぷりあるし、それをあしらう術も知らないので
当時を振り返っても、結構つらかったよな~と思う。

そんな子供時代がよかったのかどうかはわからない。
でも、ちょっとしたことに悩んだり、苦しんだりすることは
一概に悪いことではないのかも、と今は思えてくる。

何も感じられなくなり、
無神経に子供の心を傷つけるような大人になることが
果たして成長と、成熟と言えるのだろうか。
鈍感になり、日常を大過なく過ごすだけの生活よりも
深い感情に常に揺さぶられていたあの頃を
「幼い」という言葉だけで片付け、
意識という目の届かない片隅に追いやってしまってよいのだろうか。

「きよしこ」を読んでいると
子供は大人が想像するよりもずっと複雑で、
深い感情を味わっていて
むき出しの皮膚がこすれるようなひりひりとした世界で
心と身体をさらしながら生きていることが分かる。
そしてそんな風に過ごした時間の「価値」を
今になって、そして今だからこそ少しだけ
理解できるようになった気がする。

「きよしこ」は今、妻が読んでいる。
私はといえば、
次の1冊として娘に読ませようと思って買っていた「きみの友だち」
子供部屋から持ち出し、読み始めた。
これも最初から痛い話だった・・・。

少年少女時代ってなんて痛いんだろう
特に女の子の世界は痛いんだよなぁ。。。

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June 29, 2007

重松清を読む

P1030785_2 ここのところ
重松清の本を立て続けに読んでいる。

きっかけは
娘が受験する学校の情報を調べていたときに
一番いいなと思っていた学校で
重松さんを呼んで講演会を行ったことが載っていて
それ以降、なんとなく気になっていたのだ。

アマゾンでレビューを読みながら
数多くある著作の中から最初に選んだのは
「流星ワゴン」

評判通り泣ける話・・・。
ちょうど電車の中で読んでいたときに一番いいところに来てしまい
危うく静かな車内で声を出して泣きそうになって
あわててページを閉じたぐらいだ。
(そこでタイミングを逸してしまったのでその後は泣けなかった・・・。)

確かに主人公の妻の行動については???で
大人の女性の書き方はあまり得意ではないのかな、とも思うが
さすがに文章は読みやすく
かつ物語りに引き込む力が非常に強くて
どんどん読み進めることができた。

次に買ったのは「日曜日の夕刊」
これは割と軽い短編集だった。
もちろん悪くはないけど、ぐっとひきつけるものが
「流星ワゴン」に比べれば少ないと思った。

そして今読んでいるのが「きよしこ」
冒頭の部分を読んだだけで
これはいい、と思った。

まだ途中までしか読んでないが、
主人公の少年が、言いたくても言えなくて
飲み込んでしまったたくさんの言葉たちを思うと
なんとも言えない切ないような、胸がざわつくような
そんな気持ちになる。

私もどちらかというと、しゃべる言葉では
言いたいことの全てをなかなかうまく伝えられないので
こんなに長い文章を書き連ねてしまうのだと思う。

作者もきっと主人公のような気持ちを子供時代にたくさん味わい
それを経て、このように人の気持ちを巧みに捉えた文章を書く
大作家となっていったのだろう。

彼の作品は、読者が日頃心の中にしまい込んでいる
痛みとか、苦み、疼きのようなものを
本当に巧妙に掘り起こして刺激してくる。
なんともいえない胸のざわつきが起こり
感情が揺さぶられる。

「日曜日の夕刊」の解説で、評論家の北上次郎氏が
「構成のうまさということでは、
 宮部みゆきと並んで双璧といっていい」
と絶賛しているが、確かにうまいと思う。
読後感の良さも、両者に共通している。
テーマが明るかろうが暗かろうが
読んだ後に絶望的な気持ちにはならない。
私は絶望するために読書しているわけではないので
読後感のよさは、非常に好感が持てるところだ。

宮部みゆきもいっとき次から次へと読んだが
今は、重松清の世界がフィットしているのだろう。
作者と同様、私も父でも子でもある年代だからか。

でも子供の気持ちをあれだけみずみずしく描けるということは
彼の中に未だに子供時代の感覚が新鮮なままで生き続けている
ということなんだろう、と思うと
それはとてもすごいことだなと感心してしまう。
昔味わった、わざわざ思い出さなくてもいいような感情を
引っ張り出して書く作業は、結構苦しいのではないか
と推測してしまうのだが
それをやってのけるのが作家、という職業なのだろうか。

ところで、重松清の作品が
中学受験の試験問題に本当にたくさん取り上げられている
という事実を、実はつい最近になって知った。
娘を受験させたい学校の過去問にも複数使われていて
講演会もあったことだし、また来年も出るかも、と思い
「小学五年生」、 「きみの友だち」
また2冊ほど買い増した(不純な動機)。

夏休みにでも娘に読ませようかと思っているが
きっとその前に私が読んでしまうことだろう。
「受験に出るかも」は口実なのがバレバレだ。。。

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June 28, 2006

”たまたま”出会った本

本当に”たまたま”だったんです。
この本屋を見つけたのは。
でもきっとこれは、たまたまじゃないんだろうな・・・。

先日、渋谷駅前にある
「ちえの木の実」という主に児童図書を扱う本屋に
ほんとに”たまたま”入りました。

その日は渋谷駅近くに仕事に行く用事があったのですが
時間を指定されたので
渋谷駅の近くで1時間以上時間をつぶさなければなりませんでした。
どこか喫茶店にでも入るかなと思っていたところ
”たまたま”この本屋が目につき
何の気なしに入ってみたのでした。

最初は児童書専門の本屋だと思っていたのですが
奥の方へ行くと大人向けの本も並んでいました。
教育系や宗教、精神世界や自然関連の書籍が多かったです。

その中で私の目に飛び込んできたのは
木を植えた人」(ジャン・ジオノ作 こぐま社)
という小さな本でした。

これは先日コーチの葉月さんが
ブログで紹介されていたもので
その引用されていた言葉がとっても印象的だったのですが
まさかその本にここで出会うとは思いもよりませんでした。

葉月さんのブログで引用されていたのは
本文の前の冒頭の文章として書かれていたものですが
中身もとても味わい深いものでした。
とっても短い話なんですけどね。

そしてさらにその本屋でもう1冊目に付いていしまったのが
地球交響曲第三番 魂の旅」(龍村 仁 作 角川書店)
という本でした。

これは知っている人はよく知っている映画
「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の監督である作者が
3作目である第3番を撮影したときの話が書かれています。

実は私はまだこの映画1本も見たことありません。
いろんなひとから「すごくいい」と聞いていて
いつか見たいなとは思いつつ、まだその機会に出会えてませんでした。

ですが、まだ見たことない私でも
この本の話にはどんどん引き込まれてしまいます。
今風にいうと「これ、やばい!」って感じでしょうか。
いやでも、ほんとにやばいんですよ。
アンテナにびんびんひっかかっちゃって。

・・・「出会ってしまった」という感じです。
”たまたま”みつけた本屋で”たまたま”みつけた本。
こんな本との出会いは
やっぱり”たまたま”じゃないんだろうな・・・。

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January 17, 2006

星の王子様をはじめて読みました

娘が寝る前に本を読むというので
じゃあ、私もと思い、子供の部屋にあった
「星の王子様」を読んでみました。

実は、ちゃんと読んだのは今回が初めてなのです。
この本を娘に買ったときも一度読んでみたのですが
あまりのれずにすぐやめてしまったのでした。

でも今回は、最初からいい感じに入り込めたので
一気に最後まで読みきりました。

読みながら、これを子供の頃になんの予備知識もなく読んで
たまらなく好きになる人はすごいな~と思ったり
「ここで、大人の社会を風刺してるのね」とか
「ここはこういうことがいいたいのね」とか
変に大人な読み方をしている自分を感じたりしました。

とはいうものの
全体に流れるなんともいえない不思議な雰囲気に包まれ
最後に「ぼく」と王子様が別れるシーンなどは
だんだん胸がせつなくなってきて
読み終わった後もなんとな~く不思議な余韻が残りました。

でも「この感じはなんだろう」と
これ以上分析するのはやめようと思ったのです。
本を読むこと、読書の楽しみっていうのは
このなんとな~くな感じを味わうだけで十分じゃないかと思うのです。
無理に言葉にする必要はないんだよね。

まあ、星の王子様風に言えば
「大切なことは、言葉にはできないんだよ」
ってところでしょうか。

お後がよろしいようで・・・。

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March 10, 2005

クラフト・エヴィング商會なるもの

昨夜、神保町の三省堂本店で、「クラウド・コレクター 雲をつかむような話」という本を買った。
著者は「クラフト・エヴィング商會」。
一体何者なんだこの人たちは・・・。

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