重松清を読む
きっかけは
娘が受験する学校の情報を調べていたときに
一番いいなと思っていた学校で
重松さんを呼んで講演会を行ったことが載っていて
それ以降、なんとなく気になっていたのだ。
アマゾンでレビューを読みながら
数多くある著作の中から最初に選んだのは
「流星ワゴン」
評判通り泣ける話・・・。
ちょうど電車の中で読んでいたときに一番いいところに来てしまい
危うく静かな車内で声を出して泣きそうになって
あわててページを閉じたぐらいだ。
(そこでタイミングを逸してしまったのでその後は泣けなかった・・・。)
確かに主人公の妻の行動については???で
大人の女性の書き方はあまり得意ではないのかな、とも思うが
さすがに文章は読みやすく
かつ物語りに引き込む力が非常に強くて
どんどん読み進めることができた。
次に買ったのは「日曜日の夕刊」
これは割と軽い短編集だった。
もちろん悪くはないけど、ぐっとひきつけるものが
「流星ワゴン」に比べれば少ないと思った。
そして今読んでいるのが「きよしこ」
冒頭の部分を読んだだけで
これはいい、と思った。
まだ途中までしか読んでないが、
主人公の少年が、言いたくても言えなくて
飲み込んでしまったたくさんの言葉たちを思うと
なんとも言えない切ないような、胸がざわつくような
そんな気持ちになる。
私もどちらかというと、しゃべる言葉では
言いたいことの全てをなかなかうまく伝えられないので
こんなに長い文章を書き連ねてしまうのだと思う。
作者もきっと主人公のような気持ちを子供時代にたくさん味わい
それを経て、このように人の気持ちを巧みに捉えた文章を書く
大作家となっていったのだろう。
彼の作品は、読者が日頃心の中にしまい込んでいる
痛みとか、苦み、疼きのようなものを
本当に巧妙に掘り起こして刺激してくる。
なんともいえない胸のざわつきが起こり
感情が揺さぶられる。
「日曜日の夕刊」の解説で、評論家の北上次郎氏が
「構成のうまさということでは、
宮部みゆきと並んで双璧といっていい」
と絶賛しているが、確かにうまいと思う。
読後感の良さも、両者に共通している。
テーマが明るかろうが暗かろうが
読んだ後に絶望的な気持ちにはならない。
私は絶望するために読書しているわけではないので
読後感のよさは、非常に好感が持てるところだ。
宮部みゆきもいっとき次から次へと読んだが
今は、重松清の世界がフィットしているのだろう。
作者と同様、私も父でも子でもある年代だからか。
でも子供の気持ちをあれだけみずみずしく描けるということは
彼の中に未だに子供時代の感覚が新鮮なままで生き続けている
ということなんだろう、と思うと
それはとてもすごいことだなと感心してしまう。
昔味わった、わざわざ思い出さなくてもいいような感情を
引っ張り出して書く作業は、結構苦しいのではないか
と推測してしまうのだが
それをやってのけるのが作家、という職業なのだろうか。
ところで、重松清の作品が
中学受験の試験問題に本当にたくさん取り上げられている
という事実を、実はつい最近になって知った。
娘を受験させたい学校の過去問にも複数使われていて
講演会もあったことだし、また来年も出るかも、と思い
「小学五年生」、 「きみの友だち」と
また2冊ほど買い増した(不純な動機)。
夏休みにでも娘に読ませようかと思っているが
きっとその前に私が読んでしまうことだろう。
「受験に出るかも」は口実なのがバレバレだ。。。




























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